webコンサルのここだけの話
アトランダムだからいつ大当たりがくるのか予測はむずかしい。
そこで、次のようなケースも起こりうるのだ。
たとえば、9990回までやった人がいたが、あまりにも大当たりが出ないので、とうとう頭にきて席を立った。
そして、たまたまその台に座った人が10回連続して大当たりを引き当てる。
大当たり寸前で台を立ってしまった人と、たまたまその台が空いていたという理由で座った人との差は何なのだろうか。
これも偶然のなせる業なのだろうか。
ゲームやギャンブルの場合、経験を積み、研究を重ねれば、勝負の傾向や流れが読めるようになる。
それでも、運という要素はからんでくる。
ましてや人生は不可解で予測しがたいことが多い。
運には、たしかに偶然的な要素はあると思う。
それは、運というもののメカニズムが、まだよくわかっていないからである。
しかし、運がすべて偶然であるはずがない。
それでは、人生が「一か8か」とサイコロを振るのとおなじになってしまう。
幸運が巡ってきても甘んじて受けるだけで、よりよくしようという前向きの発想は出てこない。
不運に見舞われたら、我が身の不幸を呪うだけで、そこから抜け出そうと努力することもない。
これでは人生の面白みも、何のために生きるのかという目的さえもわからなくなってしまうではないか。
サイコロを振るときでさえ、ただ漠然と何も考えないで振る場合と、ある数を頭のなかで考えながら振る場合では、ちがいがあらわれることが超心理学の研究者によって報告されている。
「運を天に任せる」というが、それは「人事を尽くして天命を待つ」ということなのだ。
自分でできるかぎりの努力をし、結果は天に任せる。
こうした人に、運は微笑みかけるだろうし、運は偶然だと思っている人には、たとえ一度は幸運は訪れても、おそらく次の機会はないにちがいない。
人類が狩猟・採集の時代から、一定の土地に定着して農耕をするようになると、生活は安定してきたものの、自然の変化はどうすることもできないものだった。
川の氾濫によって起こる大洪水や干ばつ、冷害、害虫の大発生などの自然災害は作物に被害を与え、人々は飢餓に苦しむことになる。
こうした自然との闘い、つまり災害をどう克服していくかというのが、彼らの生活のすべてだったといっていい。
webコンサルを求める人が急増しています。弊社ならではのwebコンサルです。
